伏耳録

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父と死別…そして

実家で四十九日と納骨でした。
お墓にお骨はオレが入れました。

誰でもいずれそのときがくるんだけどさ。
正直、もっともっと先だと思ってたから。

ほんとに突然すぎて。
できなかったこと、できなくなったことがいろいろありすぎる。
ただ、考えると泣けてくるし実家では泣けないんだよね…長男は。

さて明日からはまた仕事だな。
オレがんばるから。
お父さんはおじいちゃんと空からオレのこと見守っていてください。

ありがとう、お父さん。


先月のことも時間をみて書いていこう。時間が経って記憶が薄れないうちに。
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2月26日の記憶

葬儀だった。
出棺。火葬場へ行った。お骨を骨壷へ入れた。
告別式。父の友人に弔辞を読んでもらった。オレは親族代表で謝辞を述べた。
大雨・強風の日だった。

2月25日の記憶

通夜だった。

2月24日の記憶

朝いちでいろんなところへ通夜と葬儀の連絡。
父が倒れてから亡くなるまで、母の希望で病室には親族しか入れなかったので
訃報を聞いて、ご近所の方、親戚、父の親しかった人たち…皆びっくりしただろうな。

オレら兄弟も「友達にも連絡しときな。」と言われて、オレは一人だけ直接連絡を
取った。父と面識もあって一番連絡しやすい地元の友達。東京にいるんだけど、通夜
には来てくれる。嬉しい。
ほかの地元の友達には親から伝わるし皆実家の方にはいないしまあいいかな、と。
会社の上司にも午前中に電話した。課長と上司が通夜に来てくれることになった。
あと課の庶務さんにはいろいろと手続きのことを教えてもらった。

2月23日の記憶

朝、次男と三男と伯母が午前中まず病院へ。母と交代する予定だった。
お昼になって、次男と伯母が戻ってきた。母は病室にいたいとのこと。
三男もそのまま病院へ残っていた。

お昼すぎ、オレと次男で病院へ。
病室へ向かう途中、三男がこちらへ歩いてきた。
医師から家族を呼ぶように言われたとのこと。ちょうどのタイミングだった。

病室に入ると医師がいた。母とオレと弟2人で説明を受ける。

ついに心臓の方にも負担がかかってしまい、もう限界がきているらしい。
いまやっている透析を止めたらいつ心臓が止まってもおかしくない状態で、
もしこのまま透析を続けたとしても…よいことは言えない。と言われた。

透析はあと2時間もしたら終わる時間になる。
家族の決断。「もう、いいよね?」母から優しい声で、そう言われた。

透析は時間通りで終わらせてもらうことにした。

家から祖母と伯母もきた。

祖母の「(父の名前)、(父の名前)…」と呼びかける声が、
ただただ悲しくて、しょうがなかった。

16時すぎ。透析が終わる時間がきた。入院中、透析担当だった3人の
看護師さんが揃って来た。透析の針を抜いて…透析は終わってしまった。

「いままで本当にありがとうございました。」
オレたちは看護師さんにお礼を言った。

「力になれなくてごめんなさい。」そう言って深々とこちらに頭を下げて
看護師さんたちは病室から出て行った。

オレと弟2人でいっしょに父の手を握った。

次男はもうこらえられずに大声で泣いた。
三男も「俺あんたに似てよかったよ。」そう言ってわんわん泣いた。

オレも涙が出てきた。でも、まだ生きてるじゃないか。なんで泣くのさ。
そう思って、静かにこらえた。でも涙は止まらなかった。

父はあと何時間生きられるのだろうか。とにかくオレたちはそばで見守った。
脈は60~70で弱いながらも一定を保っていた。血圧はすでに測定できないほどに
下がってしまっていた。
聞こえるのは人口呼吸器の音と、ときどき鳴る警告のアラーム音と。

・・・
20時すぎてもまだ状態はとくに変わらなかった。なんだ、まだまだがんばれ
そうじゃないか。そう思った。祖母と伯母は一足先に家に帰った。
「私たちは家で迎えるわ」そう言って。

22時すぎて、さらに従姉妹の姉2人を加えて、父を囲んでいろいろ話した。
23時半。明日までもちそうだよね。従姉妹たちは翌日仕事なのでそろそろ
帰ろうかというとき

えっ…

ふと測定器の画面を見ると、父の脈が、40…30…とじょじょに弱くなってきた。
医師と看護師さんが病室にきて、聴診器を2,3度あてた後…うしろに下がった。
「あとはご家族で」

ああ、ついにそのときがきたんだと悟った。
オレと三男と従姉妹は父の手を握って、母は父の頭をやさしく撫で、
次男はじっと父の顔を見つめていた。
オレたちは父に声をかけ続けた。母はただただ父の頭をやさしく撫で続けた。

ある瞬間から急に従姉妹と三男の声が大きくなった。
やや後ろの測定器の画面を見ると脈が0になったり15になったりそんな状態だった。

そして
どんなに呼び続けても、もう…0という数字は変わらなくなっていた。
それでもしばらく父の名を呼び続けた。名残惜しみつつも父のそばから少し離れた。
うしろにいた医師が時計を見て、「(夜)11:46で、いいですね?」と告げた。


これが父の最期だった。

すぐに地元馴染みの葬儀屋に連絡してきてもらった。
外まで医師と看護師さんは付き添ってくれて。…本当にありがとうございました。

深夜、葬儀屋のワゴンに乗って、父と一緒に実家へ帰った。

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